ありがとうござります

「ありがとうござります」と、仲居のお雪は取りあえず礼を言った。
 しかし座敷の引けないうちにすぐお染を帰す訳にはいかないから、ともかくも二人ながら座敷へ一旦戻って、酒の果てるまで機嫌よく遊んでいてくれと言った。
 お染は無論に承知した。男も承知した。二人はお雪に導かれて、再びもとの座敷へ戻ると、薄暗いところからはいって来たお染の眼には、急に世界が変ったように明るく華やかに感じられた。酒と白粉との匂いが紅い灯の前にとけて漲っていた。お染の涙を誘い出した秋の蛙の声は、ここまで聞えなかった。彼女はやはり俯向きがちで、生きた飾り物のようにおとなしく坐っていたが、それでも時どきにそっと眼をあげて、自分の客という人を見定めようとした。
 客は二十歳をようよう一つか二つぐらい越えたらしい若侍であった。色の浅黒い、一文字の眉の秀いでているのがお染の眼についた。彼は多くしゃべらないで、黙って酒を飲んでいた。酒量はかなりに強い人らしいとお染は思った。

差し歯 yourdomain.com ? View forum - Your first forum